JADE.,LLC 中込 敏夫
私と師、寺川國秀先生との出会いは、師が51歳、私が21歳の時である。今考えてみると、現在の私より遥かに年下であった師だが、とてつもなく威厳と貫禄があったということになる。以来21年間、常に行動を共にさせていただき、毎日が学びの日々であった。
師は威厳の塊のような人であったが、全く寡黙ではなく、実に良く話をする人であった。いや話をするのが好きというより、教えるのが好きだと言った方が適切かもしれない。
例えばラボで技工作業(もちろん寺川先生が)をしている時にも、常に何が大切なのか、何に注意しなければならないのかということを、一つ一つ説明しながら作業をしていた。話している途中で日本語が急に英語になり、また日本語に戻ったりし、しかしその抑揚が実に美しく、まるで歌を聴いているような感覚でさえあった。
診療室でも患者に対して、噛むことの大切さや口腔と全身の関連について時間をかけて説き、さらにそれをスタッフや周りの患者達にも聴かせる(オープンタイプの診療室だったため、真ん中のチェアーで話すと診療室全体に聞こえる)ということをしていた。
師のところには、実に多くの来客があった。歯科関係者もいたが、他業種の方の来訪も多かった。その来訪の目的は、それぞれが抱える諸問題に対して寺川先生の意見を求めるというものであったが、これには端から見て大きな障壁があった。何故ならば院長室らしき個室がなかったからである。寺川先生の机と来客用のソファーがラボとチェアーの間に置かれており、つまり私が座っている背向かいで、寺川先生と来訪者の意見交換が行われることになるわけである。まさに密談をオープンな場所でしていたことになる。しかし何故かそれが許される場所でもあり、寺川先生はもちろんのこと、来訪者も全く躊躇うことなく正々堂々と密談をしていたのが興味深い。そしてそれを聞くことを、暗に私に指示している向きもあった。来客者が帰ると師は必ず「今の話を要約してオレに話してみよ」と言ってきた。それに対して答えると「キミの意見を聴かせてみよ」と言った。それに答えると「なるほど、キミはそう感じたのだな」と答え、それに対しての是非には一切触れることがなかったのである。
師が来訪者に話す、もしくは語りかける多くは人間学や哲学を背景にしたものであり、さらにそれに自然観や宇宙の神秘を挟み込むような手法を用いた壮大な世界観に通ずるものであった。意見を求めてきた来訪者もいろんな意味で納得せざるおえず、半ば唖然として立ち去っていくのが常であった。
しかしながら師は私に対しては、ほとんど哲学的な、また人間学に基づいた話をすることはなかった。こう書くと意外に思われるかもしれないが、師が21年に渡って私に幾度となく語りかけ、また話をしてきた内容のほとんどが歯科学そのものについてであったのである。歯科医院で行われる作業の一つ一つを検証して教え、歯科技工士として行わなければならない作業一つ一つの意味や背景について教え、また目の前にある症例のSequential treatment planningの考え方について教え、また共に考え、ということを毎日繰り返して語り続けてきたのが師の教育そのものであったと言えよう。そして師は私に何度も次のようなことを言った。
「目の前にいる患者に対し、出来うる限りの力を尽くし成果を出せ。歯科医療従事者たるもの、まず第一にその事のみを考えれば良い。成果には(成功)も(失敗)もあるだろう。もちろん(成功たる成果)を目指すのは当たり前だが、しかしながら(失敗たる成果)から得る学びも実は得難く尊いものである。出来うる限りの力を尽くした上であれば、図らずともこれもまた大きな成果と言えるのではないか。しかしながらもう一つ大切なのは、これら(成果)というものをそのままに放置せず、真正面から世の中に問い、さらにより良い診療の礎になるようにすることである。全ての歯科医療に携わる者がこれを繰り返し行うことにより、歯科の臨床は確実に大きな前進をすることができると心得よ」
つまりこれが師の私に対する最大の教えだったと言える。今振り返ってみると、21歳の頃のほとんど何も知らなかった(歯科的なことも他のことも)時代に、とにかく目の前の事象を解決するために詰め込めるだけの知識を詰め込み、しかしそれが全て点としての知識で、全く相関関係が無いことに対して悶々とした気持ちで過ごしていた思い出がある。しかしある時点、おそらく31、2歳の頃から徐々にその点だった情報が線として繋がり始め、徐々に立体的に組み上がり変化していく様を実体験していった記憶がある。そして同時に歯科的なこと以外の様々な考えにも及ぶようになっていった。
師には多くの友人がいた。そのほとんどが各分野での第一人者であり、専門分野に長けていることはもちろんのこと、哲学・人間学・自然科学・精神論・経済学などの基本的教養を深く身につけている方ばかりであった。そしてそれらの方々を、私に対しても分け隔てなく紹介して下さり、またその先生方から可愛がっていただき、同時に多くの教えを学ばさせていただいた。しかしである。正直な話、今現在の私の身体の中に残っている教えは、全て師寺川國秀先生から直接教わったことのみであると断言できる。つまり、私自身が人生を生き抜くににおいて必要な情報は、全て寺川國秀先生の口から直接教えていただいたことだけである。
現在、還暦を目前にしている私。そして有難いことに、私の周りには多くの若き歯科医師・歯科衛生士・歯科技工士の諸氏がいる。そしてさらに有難いことに、中には私の話を聞きたがっている者も少なくは無い。私の教えを聞きたい彼らに対して、他者の話や論文を奨めても意味の無いことであろう。つまり私自らの言葉や文章により、彼らに対しての導きを与える必要があるということになる。とはいえ、私はこれからどこまで師に近づくことができるのであろうか。
もう一つ大切なこと。師は私に対しての教えは歯科学に基づくものが中心であったが、唯一と言っていい、精神的な働きかけをすることも言われ続けた。
「ごみちゃんよ、楽しくやろうぜ!オレ達はこの仕事を選択して、これからもやり続けるわけだ。だったら、徹底的にこの仕事で遊んでやろう。そう、楽しくやろうぜ!」
人生を歩み続ける根幹部分において、他の言葉や教えは私には必要ない。私自身は、この師の言葉だけを礎に、これからも活動を続けていくのであろう。